卒論も上の空
今日も朝から雪が降っていた。しかも粉雪。茨城では珍しい。大概湿った粒の大きい雪が多いのだが、寒いからか粉雪だった。
すいません。今日は吐き出します。読む方には迷惑になってしまいますが、吐き出したいので吐き出します。今日書こうと思ったことなので書きます。
昨日は眠れなかった。夜になって、しかも寝てからいろんなことが頭の中で巡り考えてしまって。
卒論がまだまだ仕上ってない不安。今年もDJができるのか、どこまで自分が動いていいのか、動きたくても動けないもどかしさ。自分の今までの行動や癖に対して考え、さまざまな後悔の思い。それを前向きに発展させようと考えられない自分のもどかしさ。また、たくさんの納得のいっていないことがまだまだ自分の中で消化仕切れていないでいる。その焦りや悔しさ、やるせなさ。そんなのがぐるんぐるん一人の頭の中でかけ巡る。
思ったことの一つをあげると、ものすごく嫌なこと、恥ずかしいこと、ダメなこと、失敗を隠し通し続けてきた。逃げてきた。嘘をついてきた。自分にもいろんな人にも。
ちょっと暴露話。中学生のころ、部活が本当に嫌でしょうがなく、そして辞めるわけではなく逃げ続けていた。夏休みや休日は練習がある日は家をでるが一人でどこかの叢にでも隠れて、練習が終るような時間に家に帰る。そして、終って帰ってきたと嘘をつく。塾にも通っていたから、部活の早く帰るいいわけにする。中2のときに骨折をし、それがさらに怠ける癖に拍車をかけてしまった。練習にはほとんどでれなくなっていた。本当に幽霊部員。当然、試合なんかには出れるはずもなく3年間が過ぎた。
今でも、この癖は抜けていない。人はだれもそんなものを隠して生きているのだと思うけれど、自分は酷いくらいかもしれない。
とりあえず、こんなことを書いてしまったが少しは気がゆるまった。そして、こんなことを繰り返したくないという気持ちにもなった。自分勝手ですみません。
最近このブログをどうして行こうか考えたりします。なんか定まってない気がして…。でも、まあ、とりあえずその日書きたいこと何でも書いていこうと思います。こんな、みじめなことも書くかも知れませんがそれも私自身です。
気をとり直してしりとり。今日は「ネ」。ネンが頭の人も思い付かなかった…
「根本陸夫」
プロ野球の裏のドンという存在。選手としてはぱっとしなかったが、監督、フロントで手腕を震った。広島、クラウンライター・西武、ダイエーの監督を勤める。ただ、監督時代にはいい成績は納めなかったが、その後の赤ヘル軍団広島、西武の黄金時代、現在のダイエーの礎をつくったのがこの人。西武、ダイエーのときは監督の後チームに残り、すばらしい選手を集めそだてあげ常勝軍団にしたてあげた立役者である。つまり、裏のドンというわけだ。1999年に72歳で死亡。その年に最後まで関っていたダイエーが初優勝した。
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