火曜日, 1月 24, 2006

高橋健次

現在、奥山貴宏の本を実際に読んでいるところだ。ここまで、淡々と客観的にかかれると内面どんな状態にあったのか逆に伝わってきてしまう気がする。また、書くことに最後を燃やしそれを成し遂げる人間の強さというのも感じている。
そんななか、一人の人物をどうしても思い出してしまったので紹介しておく。
高橋健次。日光アイスバックスを作った男であり、誰よりもアイスホッケーを愛していた男であった。そして、私が心より尊敬している男の一人である。
希望のある人間はこんなにも強くなれるのか。ガンに蝕まれてなおここまで強く生きることができるのかと感じさせてくれた。
日光にアイスホッケーのチームを残そう。99年解散となった古川電工アイスホッケー部。
これを存続するため立ち上がったのが高橋健次。日光アイスバックスの誕生である。
始めは、資金集めがままならず、募集をかけて集まったのはたったの1社。それを、選手が、高橋自身が足でまわってかき集めチームが成立した。
チームは弱かった。それでも、チームを残すため資金集めにあけくれる高橋。
00年9月膵臓ガンで余命1年の宣告を受けるも、チームを守るため残すために戦った。
その戦っているときには笑顔があった。試合を見ているときのその表情には満足感があった。日に日に体はやつれていったが、目は輝いていた。
01年に資金面で苦しいと一度解散を宣言するも、選手が関係者がファンがサポートしもう一度チームは復活した。ガンの宣告から1年。変わらずにチームのために奮闘しガンと戦い続ける高橋があった。
その結果が今のアイスバックスである。こんなにもファンから愛されているアイスホッケーチームは無い。会場はオレンジのユニフォーム姿で埋め尽くされ、ゴールが決まったときはみんなでスタンディングオーベーション。会場内の至るところにはスポンサーの看板やら垂れ幕やら登りがかかっている。
02年8月に高橋は亡くなった。53歳。宣告から1年11ヵ月。11ヵ月も多く生きた。人間の生きざまをみせてもらった。
そして、今シーズンから日光と神戸のダブルフランチャイズとなった今でも、高橋の築いたアイスバックスは戦い続けている。

では、しりとり。今日は「オ」。トリノ五輪が近いのでなるべくオリンピックの選手にします。
「岡崎朋美」
スピードスケート選手。短距離を得意とする。長野オリンピック女子500mの銅メダリスト。女子の短距離では日本で初めてであった。彼女の笑顔は「朋美スマイル」とよばれ、日本人だけでなく海外での人気も高い。ヨーロッパにはファンクラブまで存在している。ここ数年腰痛に苦しめられていたが、34歳になった今でも世界のトップクラスの実力を持つ。トリノは4度目のオリンピックだ。

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