日曜日, 7月 23, 2006

学生時代の友達

先日の、「たまには1人でどうしVODKA」の答えは森高千里の「HEY!VODKA」です。
95年ぐらいかな、サントリーのICE VODKAとICE JINのCMやってたんですよね。
どっちかっていうと、ICE JINのジンジンジンというほうが印象強かった。
ジュースとJINで何でアメリカ人なんだろ?とつっこみたくなる歌。
まあ、森高の歌はそんな突っ込みしたいものが多いですからね。ロックンロール県庁所在地とか。
まあ、それでも僕は好きです。

今日はちょっと長くなります。
僕の学生時代のころの友達はラジオでした。そして聞いていた放送局は文化放送でした。
まあ、今日カーラジオで聞いていて文化放送が四谷から浜松町に引越しを明日するというのでこれは書かなくてはと思い今パソコンの前にいます。
ラジオを聞き始めたのが小学5年生のころ。なんだか分からないんですが関西系のラジオ局にあっててお風呂に入っているときに聞いていました。なんとなく面白かったなとうる覚えながら覚えています。
で、文化放送、ラジオにはまり始めたのが中学生に入ってから。
塾に通っていて行き帰り両親に送ってもらっていたのですが、必ずカーラジオがかかっていました。
そこでであったのが「斉藤一美のとんカツワイド」。
僕が、最も好きなパーソナリティー、そしてあこがれた存在でした。
聞いていて楽しい。きっかけはそんなものです。聞いていて心地よかったんですよね。
ラジオはテレビと違って声だけの媒体。でも、リスナーとの距離はテレビよりも凄く近い。
すごくリスナーと距離が近く、バカで、トークが面白くて、ハガキ職人たちもネタが上手くて、どんどんはまっていき、夜の時間はラジオを聞く時間となりました。
聞いているうちに、それだけでは物足らなくなってハガキやFAXを送るようになっていきました。
そのきっかけも、とんカツ。とんカツリクエストというコーナーがあったんです。
そのコーナーのうたい文句が「ラジオではじめてはがきが読まれる。その感動を君も味わってみませんか?」
そう、その感動を味わってみたくて10枚ぐらい書いたかな。それではじめて読まれたときは、心臓バクバクして凄く恥ずかしくてねっころがってゴロゴロしてしまいました。
それから、もう色々と投稿するようになりました。
中学2年の冬にFAXが家に届いて、毎日のようにFAXをラジオに送るようになりました。
何度か読まれるようになって、ノベルティーも増えた。一美さんのサインも貰いました。声優の冨永みーなさんと2人の入ってる奴。これが届いたときはめちゃくちゃはしゃぎましたね。僕の宝物の1つです。
そんななか、中学2年の3月にこのとんカツが終了することに。始まりがあれば必ず終わりがきます。
そのときは、すごく悲しかった。一美さん涙もろくて、こっちもないちゃいましたよ。
で、これ以降同じ時間枠の番組は面白くなかったら聞かないと心に思いました。
が、そのあとの「古本新之輔ちゃぱらすかWOO!」にもはまるんですよ。
この番組が僕が一番採用され、様々なリスナーと出会い、ラジオに電話ではじめてしゃべった番組になりました。
このころになると、夜9時~12時の時間帯だけにあきたらず、深夜のLIPSとか、昼間の本気でDON DONとかも聞くように。どっぷりとラジオに浸かっていくことになります。
高校にあがると、高校に携帯ラジオをもっていって通学のときとか昼食のときとか必ずラジオを聞いていました。それだけ、大好きだったんですよ。僕としては携帯は電話じゃなくてラジオだったんです。
あとは、声優にはまっていったのもありますね。当時はアニラジ全盛期。しんのす(古本新之輔)をはじめマリ姉(國府田マリ子)、みーなさん、岩ちゃん(岩男潤子)、緒方司令(緒方恵美)といった方々がバカな番組をやっていました。これらは全部文化放送でしたね。文化放送を聞いていると自然と声優にも詳しくなれたものです。
ちなみに、他の放送局を聞くこともありました。まあ、今日は文化放送のことを書くのでそれは、書きたくなったときということで。
ちゃぱらは、本当にいろんなことがありましたね。ちょっと書ききれないぐらいありますよ。思い出が多すぎて。
ひとつ、あげるとしたらこのラジオを通してリスナーとつながりができたことが大きかったですね。
OFFで何度も会いました。それができたのはネットがあったからですね。
インターネットを通してリスナーがつながる時代になっていたんですね。
その流れで、ファンクラブができ、それを直接お願いに局までおしかけましたよ。
10人ぐらいだったかな。四谷の文化放送前でしんのすの入り待ちをして、ファンクラブ公認してと自己談判。
ばかなことしましたね。それでしかもOKもらっちゃったしね。
今でも、ファンクラブ残ってるみたい。でも、もう連絡を取り合っている人たちはいなくなってしまいました。
もっともっとあるんだけど、あまりにもごじゃごじゃしちゃいそうだから書こうと思ったときにまた書きます。それだけ、ちゃぱらではいろんなことがありました。

大学に入って一人暮らしをはじめたらラジオが入り悪くなってしまって聞かなくなってしまいましたね。
車を持つようになって、野球のときとかはあわせましたね。夜のワイドは聞かなくなりました。
逆に朝とかの番組はたまに聞きますね。やるマンとか、ご機嫌二重まるとかね。

中学、高校までの友達は本当にラジオだったなと思います。
空いている時間は常にラジオを聞いていました。
授業中もラジオのネタを考えるぐらい、それだけラジオにはまっていました。
他にも、やっていたことはあるけれど一番重きをおいていたものがラジオだったかなと思います。
そして、一番聞いていたのが今でもそうですが文化放送。
その、文化放送が明日四谷から浜松町に移ります。
四谷の文化放送をはじめてみたときはビックリしましたよ。その古さに。
中学2年のときに東京いったついでに探したんですけど、迷って1時間ぐらいぐるぐる回ってようやく見つけましたからね。
で、見たときにこれがかと思いましたよ。たぶん、放送局に見えないですよね。
それでも、一番あこがれた局、一番好きな局それが四谷の文化放送でした。
そして、ついに引越しです。なんか、愛着があったぶんすごく淋しい気がします。
浜松町のはまだみに行っていません。でも東京に行くときにみてこようと思います。
そして引っ越してからも、かわらないラジオの楽しい放送をしてもらいたいと思います。

凄く長いし、まとまってないけどいいや。
しりとり。「コ」
「河野淳吾」
水戸ホーリーホックのDF。センターバックとして水戸ナチオをささえる。オウンゴールしないでね。

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